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Art for Heart
物事を判断するときには、その物事の中で、全体を凝縮して表現してある一部分を見れば良い、と言われます。
例えば有能な企業のトップは、提携先の工場が自社の製品を扱うのに相応しいかを見る時に、その工場の床を見るそうです。
床がきれいに掃除してあれば、製品の設計、製造から、納期、価格までしっかりと管理できる工場だと判断できるのだそうです。
翻って住居や人の心が大切だとされる空間についても、同じことが言えるのではないでしょうか。
昨今不況や建設コストの削減が言われていて、アートのようなビジネス的な声のない存在には苦境が続き、一番手を抜き易く、また抜いたとしても表面上には出てきづらいところと考えられがちです。

病院や住居、レストランやテーマパークは、人の心を大切にする空間です、と声高にデベロッパー、オーナー、経営者は謳っています。
ところが、それを利用する人、つまりはエンドユーザーが、その言葉と空間が合っているかどうか、つまりプロジェクトとして責任と意思を持っていての言葉か、上辺だけの言葉かを判断する時には、賢く、その広告宣伝的な嘘を見抜こうと本能が働いているのです。
特に現代の消費者たちは情報に恵まれていて、その感性は極めて高いものです。
人を大切にしているはずの空間の、最も手を抜き易いところを見れば、全体にどの程度手を抜いているかが自ずとわかってしまいます。

つまり、最も手を抜き易い部分であるアートに配慮しているかどうかを見れば、本当に全体の意匠的、機能的な人間性に配慮しているかがわかってしまうということです。
一部分から全体を判断する賢い本能を、ほぼ全ての消費者が暗黙のうちに手に入れています。

企業が商品を作るとき、例えばディズニーランドが細部にまで完璧を期しているのは、すべてこのように手を抜けないからなのです。
数値で測ることのできない感覚的なプロジェクトだからといって、手を抜いていいわけではありません。
もしコストが厳しいからとアートに手を抜いているプロジェクトがあるとすれば、考え直すべきです。
アートとは、予算が余ったからするものではありません。
人間が人間でいるための空間のために必要だからするものなのです。
アーティストは予算的な条件で断ることは少ないのではないでしょうか?
プロジェクトが人間を大切にしているかどうかだけが、お引き受けするかどうかの判断基準だと思います。
人間が人間らしく生活するためには、人間らしい空間からの力を絶えず浴び続ける必要があります。
想像してみてください。
人間らしさを全て排した空間で長い期間を過ごしたとしたら、どんな気持ちになるかを。
そこでとる食事やそこから見える景色に感じるのが、心の底から湧き上がるような、あたたかな気持ちかどうかを。
実際にNASAの研究施設では、人間が手で創り出した形から、機械的な建材にはないエネルギーの放散があることを突き止めています。
そこで暮らす人の豊かな心だけを考えて創られた形が、長い間に渡ってその住民に与え続ける感性的な影響を考えたことがあるでしょうか。
デザイン意匠以上の価値がある、と、私は確信しています。

今、多くのプロジェクトが、このような厳しい時期に行われることには大きな価値があります。
厳しい時こそ、真価が問われます。
その問われる真価は、企業としての、会社としての本質そのものです。
そしてそれは、苦しいときだからこそ常より強く印象づけられるのです。
この時期にこの部分にしっかりと配慮がなされているということは、他のどの時代であっても、基本的な機能、意匠に対する配慮までも十分にできているという判断材料になるでしょう。

そして何よりも恩恵を受けるのは、長きに渡って作家たちが温めた最上の感性を受信し続けられる住民なのですから、その方々への細心の配慮、共存のための感性がなければ成り立たないことでもあると思います。

住民も後に住民となる方々も、訪れる部外者から、同じように部分から全体を見られていることを感じることになるでしょう。
幾ら部屋のセンスを良くしていても、周辺の環境に配慮されていない物件を選んだと判断されれば、いい気はしないのではないでしょうか。
逆に、アートが丁寧に展開されていることを見て、訪れた人はそのプロジェクトが「人間の心を大切に考えている人」たちによって支えられてきていることを感じることでしょう。

良質のアートは変えてくれます。
空間も人の心も、その人が起こす行動さえも。

作品を生み出すのも、育てて大きくしていくのも、作品を見て使ってくださるエンドユーザー達の意思によってなされたものではないかと感じております。
アートはプロジェクトに携わっている人々の真の心を、過程を使って表現してしまうものなのです。
単なる形だけでなく、その背景にあることこそ、本当は価値があることなのかもしれません。